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後廃帝 (南朝宋) : ミニ英和和英辞書
後廃帝 (南朝宋)[こうはいてい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
廃帝 : [はいてい]
 (n) dethroned emperor or king
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南朝 : [なんちょう]
 (n) Southern Dynasty
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

後廃帝 (南朝宋) : ウィキペディア日本語版
後廃帝 (南朝宋)[こうはいてい]

後廃帝(こうはいてい)は、南朝の第7代皇帝(在位:472年 - 477年)。(いく)。は徳融、小字は慧震。また蒼梧王(そうごおう)とも呼ばれる。
== 生涯 ==
463年1月、劉昱は宋の湘東王劉彧の長男として建康の衛尉府で生まれた。466年10月、皇太子に立てられた。472年4月、父の明帝(劉彧)が死去すると、劉昱は皇帝として即位した。袁粲褚淵が輔政にあたった。474年、桂陽王劉休範江州で反乱を起こしたが、蕭道成により鎮圧された。476年、建平王劉景素が京口で反乱を起こし、これまた蕭道成に鎮圧された。477年7月、劉昱は蕭道成の手により仁寿殿で殺害された。死後、皇太后の令により蒼梧郡王に降封された。
帝位から引きずり落とされて殺害された皇帝、つまり「廃帝」であるが、南朝宋では第5代皇帝の劉子業もそうした運命をたどっているため、劉子業を「前廃帝」、劉昱を「後廃帝」と呼んで区別する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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